宮沢賢治の詩「春と修羅」を写真家である齋藤陽道が「写訳」した本。詩から、写真から、異なるアプローチで感情に訴えかけてくる一冊。
本からこんなことに気づけるかも
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自分の見ているものがすべてではない
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人の数だけ違う世界がある
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見方を変えれば世界が変わる
ブックセラピストからのひとこと
客観的な事実と、自分が感じることは時として遠かったりするものです。お悩みの内容をちょっと分解するとこのように感じられました。
頑張っている自分(ほめてあげたいですね)、成果があまり出ない(とあなたは感じている?誰かに言われたのかな)、認められない(とあなたは感じている)、だから悲しい(ここが一番大事かもしれません)。
自分はダメな人間だと思ってしまうと、なにもかもそれが原因のように思えたり、周りが自分を認めてくれていないような気持ちになってしまいますね。でもそれって本当でしょうか。ダメだ、ダメだと思う自分がしゅるしゅるとそちら側に考えを誘導していませんか?
自己肯定感なんて言葉が流行りだして早数年、自分はできる人間だ!と思えなくとも、自分なりに頑張っていることをもっと褒めて、認めて、いたわってあげるといいのかもしれません。
「写訳 春と修羅」はお悩みと直接的な関係はないかもしれません。耳の聞こえない写真家が、詩を写真で訳したものです。 人間の数だけ世界があって、物質的には世界は一つですけれど、事実をどう受け取ってどう表現するか、どこにピントを合わせてどこをぼかすかはわたしたちにゆだねられているのだと教えてくれる気がします。
自分が感じた悩みのどこが事実で、どこが想像なのか。一番大事なのはどこで、なにをすれば自分が安らかに暮らせるか。難しい問題を抱えている時、人は思考がとっ散らかってすべてをネガティブに捉えがちです。
こういう風に世界が見える人もいるんだな、なら自分はどうだろう?と、一度立ち止まって考えてみませんか?頭を使うのが嫌だったら、写真をぼんやり眺めましょう。無駄なことも、無駄な時間もこの世にはないですよ。